人生の煮っ転がし

人生の煮っころがし

休日のトイレにはギミックが必要

今回の話はすぐに終わります。
自宅のトイレにはギミックが必要だという話。特に休日における自宅のトイレについて話をしたい。一応補足しておくとギミックというのは仕掛け・からくりという意味。大丈夫ですか。続けますよ。


皆さんトイレに入るのはどんなときだろうか。
もしかして尿意及び便意を催したときではないだろうか。そうでしょうね、私もそうだもん。

トイレに入るということは、そのときやっていたことを中断するということだ。私たちは取り組んでいたアクション(家事をする、テレビを見る、本を読む、眠るなど様々)を中断してまでトイレに向かう。あるいは「区切り」になることも多い。食事を終えて、テレビを見終えて、本を読み終えて。

どちらにせよ、流れが途切れる。それがトイレに入るという行為だ。

 

 

 

休日、日曜日の昼下がり。自宅でゲームをしていた私。(何でもいいが、ここではアクションを“ゲーム”とする) 

「どうしてもあいつ倒せないな〜」

なんとなく尿意を催す。ポーズ画面にして席を立ち、トイレに向かう。

「あ、じゃあ次はあの武器使ってみるか」

トイレに入り、腰掛ける。

 

 

「………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………はぁ〜〜〜〜。」

 

 

 

 

 

 

 はい。わかりますか。そう、トイレに入るとまぁ〜〜我に返る。テンションが強制シャットダウンされる感じ。それも休日はとくに。もう回帰するのが難しいレベルで気分が落ちる。お手軽につらい。

 

そこで私は考えた。トイレに入っても我に返ることなく楽しい気分・落ち着いた気持ちを維持するにはどうすればよいのか。

 

 

辿り着いた答えがギミックである。

 

 

まず、みなさん自宅のトイレを思い浮かべてほしい。よほどの金持ちでなければ、座ったらわりと壁がすぐ目の前ではないだろうか。そして左右も壁。何かがあるにしてもだいたいカレンダーやちょっとした置物くらいだろう。これがまずいのではないか。

 

・取り組んでいたことを中断している(区切りがついている)

・前後左右を壁に囲まれている

・基本的になにも持っていない

・腰掛けている

 

ほら。これは我にも返るよ。まずいまずい。

要は、手持ち無沙汰なのである。(排泄中に手持ち無沙汰とは何事かという気もするが)

 

そこで、ギミックの出番。

便器に腰掛けてから排泄を終えるまでテンションをつなぐギミックである。腹痛や便秘などでなければ、せいぜい2〜5分といったところだろう。その間、意識を向けられるもの。ギミックとかっこよく書いてはいるが単におもちゃと考えてもらってもかまわない。ぐるぐる鳥が飛ぶやつとか、わけありげなボタンとか、よくわからんトゲトゲが床から生えてるとか、なぞパズルとか。(なぞパズル?)  

そういったギミックをできるだけたくさん、たくさんトイレに仕掛ける。例えるなら幼児が遊ぶ自宅用のジャングルジム。あるいはクッパ城の奥のほう。やたら仕掛けがある感じ。そんな感じのDIYが流行ってもいいような気がする。

仕掛けが1種だけだとどうしてもすぐに飽きがくるからね。手ではギミックを弄びながらも頭では我に返る。そんなことになったら目も当てられない。いつも以上に自分が情けなくなること請け合いである。

したがってできるだけたくさんのギミックを仕掛け、また定期的に取り替えるのが効果的だろうと私は思う。

 

 

 

 

さて、以上だけれども。どうだろうか。

まあどうだろうかとかいわれてもね。でも“トイレに行くと我に返ってしまい憂鬱になる”というスタートのところは共感していただける人が少しはいるのではないかと思っている。そんな人はぜひやってみてほしい。ただし、一人暮らしでかつ来客が全くない人しか試せないとは思う。だって異常事態だもん。そんなトイレ。

 

たくさんのギミックがあるトイレ。そう、これは正気の沙汰ではないのだ。しかし正気に戻らないことこそが休日を過ごす上でなにより重要なことなのだと私は考える。

 

 

 

 

 

 

 

トイレでだって我を忘れていたい。

 

おしまい。