コロッケコッペ

人生の煮っころがし

深夜のスーパーの暴力的な明るさ

深夜のスーパーの明るさを暴力的だと感じたことはないだろうか。

 

私は家族が寝静まった真夜中、ホットケーキパーティーを催すことがある。パーティーといっても、ひとりでホットケーキを食べながら缶チューハイを飲みアニメを観るだけである。今日のパーティーという単語の守備範囲を考えるとこれをパーティーといっても差し支えないだろう。そこで牛乳がないだとかバターがないだとかいった事態が発覚したとき、スーパーを利用する。

最近のスーパーは深夜まで営業してるところがけっこうあり、24時間営業の店もある。そして深夜のスーパーに入店すると、私はその暴力的な明るさに圧倒される。深夜のコンビニでは感じない。眩しいとかそういうのとも少し違う。暴力的な明るさ。過激な光。ラジカルな輝き。なんなのだろうあれは。みんなは感じないだろうか。

 

 

現実的に考えてみるならば

 

  1. 照度が高く、色温度の高い照明が使用されている
  2. 均斉的な全般照明が使用されている
  3. 暗い夜道を数分歩いて暗さに眼が慣れている状態である
  4. 憂鬱で暗い心理状態である

 

要因はこんなところだろうか。こうやって無理やり理由を考えようとすると、やはりただ眩しいだけではないのかという結論に至ってしまいそうになる。だがそうではないのだ。わかってもらえるかわからないが、私にとっては眩しいではなく“暴力的”なのだ。

 

そこでもう一つ、深夜のスーパーの明るさが眩しいではなく暴力的だと感じられる要因と思われる事柄を見つけ出してみた。

 

 

 

 

閑散とした店内と店員の暗い表情

    

 

 

 

これは二つのようで関連する一つの事象だ。

店内に客がたくさんいれば、暴力的な光というより賑わいの光になるだろう。そして客がたくさんいれば、店員は嫌でも接客の顔をつくる。

 

逆に店内が閑散としていれば店員は接客以外の仕事をするわけであり、その顔に明るさはない。店内の明るさとは対照的なまでに暗い顔。それが私が深夜のスーパーの明るさをより暴力的に感じる要因になっているのではないだろうか。

 

 

 

と、思うのですがどうですか。

ここまで書いておいて気付いたのだが、“深夜のスーパーの明るさを暴力的に感じる”ということに共感できない人には最初から最後まで全く意味のわからない文章だなこれ。どうですかじゃないよ。なんかごめんなさいね。はやいとこもうおしまいにしますけど、あれだったら、ぜひ深夜のスーパーに行ってみてくださいね。はい。

 

 

 

 

 

 

 スーパーの店員さん、応援しています。