人生の煮っ転がし

人生の煮っころがし

剥き出しの鉄骨と本屋

まず私と本の関係性について。

私はあまり本を読まない。といっても読書を苦痛には思わないしけっこう言葉、日本語が好きである。なので学校で扱ったもの以外にも近代文学は読んできたし現代の小説も読んだことはある。現代のものではSFと推理ものの割合が高いだろうか。小説以外では何かの試験や検定の参考書が多い。漫画もちらほら持っている。だがやはり日常的に本を読む習慣はない。直近でしっかり読書をしたのはいつかと問われれば、いつだったかなと考えてしまうくらいに。私と本はそんな距離感。

 

 そんな私が先日、本屋に行った。本屋に行くこと自体はそんなに珍しいことではない。ちなみにそのときは好きなイラストレーターの画集を予約することが目的だった。都会にある本屋。ワンフロアだがけっこう広い店内。その店内の角、天井。補修の予定があるのか無骨な金属管が剥き出しになっていた。床やその周りの壁・天井などはいたって普通の本屋。特に独自性があるわけでもない一般的な本屋。とても落ち着いた雰囲気のなか、その剥き出しの金属はかなり異質なものに見えた。その空間にそぐわない異質なもの。なんとなく気になって眺めていると私はなぜか自分の気持ちが昂ぶっているのを感じた。

 

 

 

なんだこれ……かっこいい……

えっ……ちょっと待てよ…………………

 

もしかして…………………………

 

 

 

 

 

 

 

金属と本ってめちゃくちゃ相性がいいのでは?

 

 

 

 

 

 

 

はい、今回のテーマはこれです。

 

本屋といえば床はフローリングなど落ち着いた色、照明は暖色系でのどやかな雰囲気の店内が一般的だ。金属というよりは木材といった印象か。もちろんそういった雰囲気の本屋を否定するつもりは全くない。広く受け入れられてきたからこそ本屋のイメージとして定着しているのだろうし私もその雰囲気を不快に感じたことは一度もない。

 

だが今回私が提案したいのはそうではない。重い金属の扉。いかにも耐火素材って感じの金属の内壁。装飾もなにもない剥き出しの鉄骨。天井にはなんかよくわからない謎のパイプ。点在する白色光の照明。そしてずらっと並ぶスチール製の本棚。

どう、かっこよくない?テンション上がっちゃう気がしない?

 

この昂ぶりは私があまり本を読まずに育ち、そこまで本に親しみを感じられていないからこそのものかもしれない。でも、ここまでじゃないにしても、金属と本がかなりいい相性だということは読書好きの方にもなんとなく伝わらないだろうか。

 

  

 

金属と本のマッチング。倉庫みたいな本屋。いや、異能力組織が集会所にしている今は使われていない倉庫 みたいな本屋。

 

見つけたらぜひご一報を。

 

 

深夜のスーパーの暴力的な明るさ

深夜のスーパーの明るさを暴力的だと感じたことはないだろうか。

 

私は家族が寝静まった真夜中、ホットケーキパーティーを催すことがある。パーティーといっても、ひとりでホットケーキを食べながら缶チューハイを飲みアニメを観るだけである。今日のパーティーという単語の守備範囲を考えるとこれをパーティーといっても差し支えないだろう。そこで牛乳がないだとかバターがないだとかいった事態が発覚したとき、スーパーを利用する。

最近のスーパーは深夜まで営業してるところがけっこうあり、24時間営業の店もある。そして深夜のスーパーに入店すると、私はその暴力的な明るさに圧倒される。深夜のコンビニでは感じない。眩しいとかそういうのとも少し違う。暴力的な明るさ。過激な光。ラジカルな輝き。なんなのだろうあれは。みんなは感じないだろうか。

 

 

現実的に考えてみるならば

 

  1. 照度が高く、色温度の高い照明が使用されている
  2. 均斉的な全般照明が使用されている
  3. 暗い夜道を数分歩いて暗さに眼が慣れている状態である
  4. 憂鬱で暗い心理状態である

 

要因はこんなところだろうか。こうやって無理やり理由を考えようとすると、やはりただ眩しいだけではないのかという結論に至ってしまいそうになる。だがそうではないのだ。わかってもらえるかわからないが、私にとっては眩しいではなく“暴力的”なのだ。

 

そこでもう一つ、深夜のスーパーの明るさが眩しいではなく暴力的だと感じられる要因と思われる事柄を見つけ出してみた。

 

 

 

 

閑散とした店内と店員の暗い表情

    

 

 

 

これは二つのようで関連する一つの事象だ。

店内に客がたくさんいれば、暴力的な光というより賑わいの光になるだろう。そして客がたくさんいれば、店員は嫌でも接客の顔をつくる。

 

逆に店内が閑散としていれば店員は接客以外の仕事をするわけであり、その顔に明るさはない。店内の明るさとは対照的なまでに暗い顔。それが私が深夜のスーパーの明るさをより暴力的に感じる要因になっているのではないだろうか。

 

 

 

と、思うのですがどうですか。

ここまで書いておいて気付いたのだが、“深夜のスーパーの明るさを暴力的に感じる”ということに共感できない人には最初から最後まで全く意味のわからない文章だなこれ。どうですかじゃないよ。なんかごめんなさいね。はやいとこもうおしまいにしますけど、あれだったら、ぜひ深夜のスーパーに行ってみてくださいね。はい。

 

 

 

 

 

 

 スーパーの店員さん、応援しています。

プーがもたらしたある種の奇跡

地域のイベントのポスターを見た。動物のイラストが描かれている。何匹かいて、吹き出しで注意事項などを書き込まれている動物もいる。何の気なしに眺めていただけだが、ふとある動物に目がいき、おやっ?と思った。今回はそんな話。

 

 

アニマルキャラクターと聞くとどんなキャラクター、動物が浮かぶだろうか。幼稚園の先生が掲示物に描くかわいい動物のイラストと考えてもいい。

 

まずはやはり犬と猫だろう。特に猫は強そうだ。犬派猫派のどちらが優勢かは知らないが、キャラクター・イラストの分野における猫の圧倒的存在感は犬派も認めざるを得ないだろう。見た目やイメージもさることながら「にゃ〜」という鳴き声はキャラクター化する上でかなり強いポイントになる気がする。「ワン」に勝るキャラクター感。猫耳メイドはいても犬耳メイドはいないことからも、やはりこの分野では猫が優勢とみていいだろう。いや探せばいるのかな犬耳メイド。まあいい。

 

次に挙げられるのはうさぎやひよこではないかと思う。うさぎは特徴的な耳やジャンプがキャラクター映えする。ひよこに関しては鶏ではなくその子供のひよことしてのエントリーというのが少しずるい気がしなくもないが、今回は見逃してやる。 

 

さぁ、次だ。犬猫うさぎひよこ。その四大アニマルを封じられた幼稚園の先生は何を描くか。そう、"くま"だ。いや、くまじゃないかもしれないがここではくまとする。私がくまっつったらくまなのだ。

 

わかるだろうか。

わんちゃん。ねこさん。うさぎさん。ひよこちゃん。くまさん。

 

  

くま……???
クマ………………熊!?!?!?

 

 

愛らしい小動物が並ぶなか、するどい爪を持つ大型動物の登場である。「いままで気にしたことはなかったが、かわいいキャラクターとして熊はかなり異質なのでは?」イベントのポスターに描かれた熊のキャラクターを見てふとそんなことを思った。それがこの記事を書いたきっかけである。

 

熊は農作物に手を出すだけでなく人間に危害を加えることもままある。何ヶ月か前も熊の胃から人体の一部が出てきたとニュースになっていた。こわい。こわすぎる。

 そんな熊がかわいくて子供に人気。これはほとんど奇跡なのではないだろうか。くまがかわいいという奇跡。この奇跡はなぜ起きたのか。この問題に対して考えるうえで無視できない人物がいる。そう、彼。

 

くまのプーさん

 

“熊がかわいいのはプーがもたらした奇跡なのでは?”

これが私の予想であり今日最もいいたかったことだ。プーはどう見ても熊であり、どう見てもかわいい。上がり切った口角。ぼよんぼよんに弛んだお腹。甘ったるい話し方。露出した下半身。なるほどどれをとってもかわいい。このかわいい熊プーが「熊=かわいい」という公式を根付かせたのではないだろうか。

って思ったんだけどよく考えたらプーってぬいぐるみなんだっけ?記憶が曖昧だ。ぬいぐるみだとしたらプーの元締めであるテディベアの貢献が大きいのでは?と思えてきた。調べてみよう。

 

 

熊のぬいぐるみ(テディベア)のキャラクターである「くまのプーさん」と、彼が住む「100エーカーの森」の仲間たちを中心とした作品群である。

Wikipedia : https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E3%81%8F%E3%81%BE%E3%81%AE%E3%83%97%E3%83%BC%E3%81%95%E3%82%93_(%E3%83%87%E3%82%A3%E3%82%BA%E3%83%8B%E3%83%BC)

 

 

やはりプーさんはぬいぐるみ、テディベアのようだ。ではテディベアの項目も確認しよう。

 

 

1902年の秋、ルーズベルト大統領は趣味である熊狩りに出かけたが、獲物をしとめることができなかった。そこで同行していたハンターが年老いた雌熊(一説には傷を負った子熊)のアメリカグマを追いつめて最後の1発を大統領に頼んだが、ルーズベルトは「瀕死の熊を撃つのはスポーツマン精神にもとる」として撃たなかった。

このことが同行していた新聞記者のクリフォード・ベリーマンによって記事にされ、『ワシントン・ポスト』紙に挿絵入りで掲載された。この挿絵のベアは「ベリーマンベア」と呼ばれた。このルーズベルトの逸話に触発されて、ロシア移民モリス・ミットム(英語版)がアイデアル社(Ideal Novelty & Toy)を興し、熊の縫いぐるみを製造したのが、アメリカ国内初のテディベア・メーカー[1]といわれている。

 

Wikipedia : https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E3%83%86%E3%83%87%E3%82%A3%E3%83%99%E3%82%A2

 

 

 

 

 

あ、熊がかわいいのは元米国大統領がもたらした奇跡かもしれない。

 

メールアドレスを変えるたびに微かに傷付く

先日スマートフォンを買い替えた。使っていたものを解約し新規で契約という形。電話番号とメールアドレスも変更となった。アドレス変更となると頭を悩ますのが"新しいアドレスを誰に伝え、誰に伝えないか"という問題だ。

 

というかそれ以前に、そもそも今もまだ「◯◯です。メールアドレス変更しました。 」みたいなメールみんなやってるのか?もしかしてこれ送るのめちゃくちゃ恥ずかしい行為になってたりしない?少し不安になってきた。私はLINEをやっていないため他人と連絡を取るにはメールか電話しか手段がない。だから必要なことだとは思うのだが、どうなんだろうか。

 

なんだかんだ私はアドレスが変わるとき毎回その時点で連絡先を登録しているすべての人にこういったメールを送っている。誰に送って誰に送らないか考えるのが面倒だからである。しかし、当然のことながら何年もやり取りをとっていない相手も存在する。というか私の場合ほとんどがそうだ。したがって何割かは彼からメールが返ってくるのだ。

 

 

 

 

 

Mail Delivery Subsystem

件名:Returned mail

  

 

 

 

これは心にチクッとくる。

私だってべつに一人ひとり、この人とまたメールを交わす日が来るだろうと思ってアドレス変更を伝えたかったわけではない。事務的に、機械的に登録していたアドレス全員に送っているだけだ。ただそれでも、送信から間髪容れずにメール受信音が鳴る。確認する。Mail Delivery Subsystem。これには微かに傷付いてしまうのが人間というものだろう。特に私の場合、登録している人数が極端に少ない。一桁である。それがメールアドレスを変更するたびに少しずつ着実に減っていく。少しずつ着実にダメージを受ける。さながらどく状態のポケモンのように。

 

余談だが、登録件数が増えることを想定していないのは私が無職だからである。それはもうずぶずぶの無職だ。高校2年次から通信制の学校に転校したので生活スタイルだけでいえば高2からすでに無職であった。なんとなく年齢の明記は控えるが、まぁ4〜6年間無職の生活スタイルを送っている。アルバイトは年に何回か短期のをするくらい。LINEはやってない。友達も恋人もいないのでメールや電話もない。極端に人との関わりを、コミュニケーションを、社会を拒んでの生活。それを4〜6年。そんな私ももうすぐ社会人になる。本当に働きたくない。嫌だ。人と関わりたくない。ひとりがいい。いつまでもずぶずぶの無職でいたい。 

 

あ、ちなみにちなみに今回私はMail Delivery Subsystemからだったが送信元のアドレスによってはMAILER-DAEMONという宛先から返ってくる。前者は機械的な冷たさを、後者は嘲笑しているような敵意を感じる。というかDAEMONって思いっきり悪魔じゃん。こわっ。

 

 

 

Mail Delivery Subsystemからのメールには微かに傷付けられる。だが、逆にこう考えてみた。

彼も彼で苦悩しているのではないだろうか。

彼、つまりMail Delivery Subsystem

存在しないアドレス宛のメールを瞬間にしてただ機械的に送信元に返すだけ。(まぁ機械なんだけど)

血も涙もない冷徹な仕事人。人々の目にはそう映る。(まぁ人間じゃないんだけど)

ただ彼だって人知れずに心を痛めているのかもしれない。(まぁ心もクソもないんだけど)

 

 

"おひさしぶり☆  ◯◯だよ!元気にしてた?アドレス変わったから登録よろしくね(^人^)今度飲みに行こうね〜!"

 

 こういった類のメールをいくつもいくつも読む。そして速攻で本人に送り返す。

 「俺はこんな仕事がしたかったんだっけ……」

 

"ご無沙汰です。△△です。メールアドレス変更しました。宜しくお願い致します。"

 

休息の時間はない。次から次へと行き場のないメールが彼の元に集う。

 「人々を笑顔にする仕事がしたい……」

 

 

"メールアドレス変更しました。よろしく。"

 

「こいつ名乗るの忘れてる……」

 

 

"◇◇です。ついにスマホデビューしました! アドレスと電話番号です!

アドレス:〜〜〜〜〜〜@〜〜

電話番号:××× ×××× ×××× "

 

「…………」

 

 

"※※です。アドレス変更しました。去年のお正月以来だけど、元気かな?++ちゃんは今年で中学3年生だね。受験頑張ってね!"

 

 

「…………ウンギェェエエエオオオオアアアアアアアアアッッッッ!!!!!キェァァァェェェェァァァアアアアッッッッ!!!!!」

 

 

「……………………………………………………………………………………………………………………………………………………………。」

 

 

「………………………ウッッッウッッッッッ……」

 

 

 

「………………………………………………Returned………mail…………」

 

 

「Returned mail: see transcript for details」

 

 

「Returned mail: see transcript for details」  

 

 

 

こうして彼は日本語を棄てた。これで少なくとも日本語のメールは記号として認識できる。届かないメールなんて理解したくない。送信者のことなんて、受信者との関係なんて理解したくない。自分が傷付ける相手のことなんて……。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 以上です。もうおしまいでいいです。

これなんの記事だっけ。