寿命を1日短くしてもいいから、走馬灯を24時間ぶっ続け上映してほしい
走馬灯。
死の間際、死を覚悟した瞬間に去来するといわれる人生の様々な記憶。
本来は走馬灯とは単に回り燈籠のことであり、「走馬灯のように」見えるといわれる上記のビジョンはパノラマ記憶やライフレビューなどと呼ぶらしい。まあそんなことはどうでもいい。便宜的にここでは走馬灯と呼ぶことにする。
死に直面する際、よい人生だったと思えるかそうでもなかったと思うかはわからない。いやでも仮にあと数秒で死ぬと認識できたら、結局「よい人生だった」と無意識に思い込もうとする気がする。私はそういうやつだ。
それは置いておくとして。
私は走馬灯をみたい。いい記憶も悪い記憶もしっかりみたい。
この走馬灯、臨死体験者(死に直面した人)の25〜30%が体験したという調査もあるほどで、思ったほど稀な現象ではないらしい。それならば来たるその日、私も走馬灯をみてみたいと強く思う。
最近気付いたことだが、私はとかく"懐かしい"という感情に弱い。昔の大変だったこと・楽しかったこと・頑張ったことなどをふとしたきっかけで思い出すと、なんとも言えないじんわりした気持ちになる。当時大変だったことやつらかったことを思い出しても、不思議とただ不快なだけの感情にはならない。
なんというか、思い出に飢えているのかもしれない。
まぁただ、何もしてなさすぎて思い出せることが極端に少ないんだけど……
走馬灯はいわば最期の思い出振り返りタイムだ。だったら私は、じっくりみっちり味わいたいなと思う。じんわりして逝きたい。
できることなら、素敵な思い出の配分を長めで上映をお願いしたい。
そして、私の人生に深く関わった人や物の名前がずらっと流れるエンドロールで涙を流して逝きたい。
まさかのCパート突入で蘇生したい。