読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

コロッケコッペ

人生の煮っころがし

悪いミッキーさんが来る

「おにから電話」というアプリがテレビで紹介されていた。鬼やおばけから電話がかかってきたという設定で言うことをきかない子供を脅かす子育てサポートアプリというものらしい。こわいイラストも表示されるほか、片付けをしないとき・嘘をついたとき・寝ないときなど様々なシチュエーション毎に音声が用意されていて手のかかる子供も言うことをきくということだった。濫用は良くない気がするが、最終手段的な扱いなら確かに保護者にとって有用なアプリなんだと思う。

 

「良い子にしないと鬼から電話がかかってくるよ!」これは聞きようによっては恫喝と取れなくもないが、育児・教育においてはそれも一線を超えない程度には必要だろう。誰もが多かれ少なかれ大人からそんな恫喝まがいのことをされた経験があるはずだ。かくいう私も幼稚園の先生にこんなことを言われていたのを思い出す。

 

 

 

「早くお片付けしないと悪いミッキーさんが来るよー!!」

  

 

 

今になって考えると「はい〜?」って感じだが、当時の私にはとても効果的な恫喝だった。片付けの時間になると、先生はピアノでめちゃくちゃキーを下げた『ミッキーマウス・マーチ』をゆっく〜り弾きながら言う。

 

 

  

「みんなー!!悪いミッキーさんが来るよ!!」

 

   

 

私はもうこの時点でガクブルである。「積み木あそび?なにが楽しいの?」って感じのませたクソ園児だった私だが、怖いものは怖い。そりゃもうすんごく怖い。悪いミッキーさんを止めるためならお片付けもやぶさかではない。しかしそれでもすぐに遊びをやめない根性のある園児もいる。そんな反抗的な園児を挑発するかのようにめちゃくちゃ低いキーのミッキーマウス・マーチはテンポを上げる。

悪いミッキーさんが走り始めるのだ!

 

 

 

「悪いミッキーさんが近付いてくるよー!!」

 

 

 

悪いミッキーさんがすぐそこまで来ているという実感。もの恐ろしさ。これには反骨精神溢れる園児達も形無しである。やんちゃボーイもおてんばガールも必死こいてお片付け。これは本能だ。園児としての本能で“悪いミッキーさんが来たら自分は終わり”そう直感している。

 

 

 

「悪いミッキーさんが幼稚園に着いちゃうよー!!」

 

 

  

お片付けが終盤に差し掛かるころ、めちゃくちゃキーの低いミッキーマウス・マーチもトップスピードになる。

悪いミッキーさんがこちらを捉えた……!?

もう明るく楽しい原曲の面影は完全に消え失せシューベルトの『魔王』さながらおどろおどろしい、恐怖を煽りまくる楽曲である。「お父さん!!お父さん!!」と叫ぶのもやむなし。子供は苦しみだし、やがて息絶えるかもしれない。

 

悪いミッキーさんに恐れ戦きながらどうにかこうにか片付けを終えると、ミッキーマウス・マーチはゆっくりフェードアウトしていき先生はこう言い放つ。

 

 

 

「みんながお片付けをしたから悪いミッキーさんは帰ったみたい。」

 

 

 

この宣言を聞いた瞬間、私達の顔に安堵の表情が浮かぶ。なんとか今回は助かった、と。

悪いミッキーさんはお片付けを終えると帰る。そういう性質があるらしいこともみな直感で理解していた。

 

そうして私達は幾度となく悪いミッキーさんの襲来を寸前で防ぎ、ついに卒園まで一度も悪いミッキーさんと相対することはなかった。

 

悪いミッキーさんはなんでお片付けをすると帰るのか。そもそも悪いミッキーさんはどう悪いのか。片付けをしなかったら私達は悪いミッキーさんに何をされていたのか。何もわからない。先生は悪いミッキーさんについて何も語らなかったから。確かなことは、私達がその悪いミッキーさんを恐れていたということだけである。

  

 

しかしいかんせん幼稚園児の頃の話だ。私の記憶に穴がある可能性も否定できない。そこで母に「あの悪いミッキーさんってのは何だったの?先生ほかに何か言ってたっけ?」と聞いてみた。すると母は「あははは、そんなのよく覚えてるね〜」とひとしきり笑ったあと、

 

 

「悪いミッキーさんは別に何もしないよ。ただ悪くて怖いの。それだけ。」

 

 

 

 

哲学か?

 

 

 

 

 

 

 

 

(先生のしていたことはミッキーマウスのイメージを損ないかねないことのような気がする。その点はいいのだろうか。大人になってしまった現在の私からすれば、悪いミッキーさんより怒ったディズニーさんのほうがよっぽど怖い。