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コロッケコッペ

人生の煮っころがし

活動力に満ちた人間がこわい

私は無気力な人間である。幼い頃からずっと無気力だ。死後、人生の通知表をもらえるなら関心・意欲・態度の項目はC判定だろう。そんな非活動的な人生を歩んできた。

 

  • 中学高校ともに帰宅部。仮入部すらしたことがない。
  • 運動は苦手ではないが全くやらない。幼いころも外で遊ぶのが好きではなかった。
  • 音楽を聴くのは好きだが、決まったアーティストの歌しか聴かない。楽器を触ったことはないし歌を歌うこともない。カラオケに行ったこともない。
  • 幼稚園以来まともに絵を描いたことがない。というか創作活動をしたことがない。(漫画やアニメは好きだがいわゆる黒歴史ノート的なものもない)
  • ファッションに興味がない。ここ2年くらいスーツと下着以外に服を買っていない。美容院で髪を切るとき長さ以外の注文をしたことがない。その長さも何年も変えてない。
  • 趣味はない。強いて言えばゲームだが、それももうクリアしたことのあるものを惰性でやっているだけである。未プレイのものも手元に何本かあるがそれでも何度もクリアしたものを惰性でプレイする。
  • 明確に夢を持ったことがない。なので学校の作文やアンケートで書かなければならない場面では毎回違うことを書いていた。(パン屋、雑貨屋、寿司職人など)
  • LINE・Facebookをやっていない。友達がいない。(これは無気力だけが原因ではないか)

 

自らがいかに非活動的かを示すのはなかなか難しい。なぜならやったことではなくいかにやってないかを挙げなければならない。でもまあこんな感じでわかっていただけたことと思う。どうしようもないくらい無気力。非活動的の極み。変わったらいいなあと思うことはあっても変えようとは思わない。もちろん気力がないからである。

 

 

 

 

 

そんな私が春から公務員になる。ちなみに公務員を選んだのは公務員試験の選考方法に利点を感じたからである。(学歴を問わない・筆記試験で大部分が落ちてその後の面接も基本的に1度だけなので民間の就活より精神的負担が軽いなど)

採用にあたり昨年末から懇親会だとかセミナーだとかに参加しなければならなかった。形式的な自己紹介から移動中の雑談など、次々と同じ内定者達とのファーストコンタクトを取っていくことになる。ただでさえ人見知りでコミュ障の私だが、そこで予期せぬベクトルの困難と対峙することになった。

 

 

A「私は大阪に住んでいるのですがどうしてもここで働きたくて受験しました!まだ決まっていませんが、上京して一人暮らしを始めるつもりです!地元では……」

 

B「ツーリングが趣味なんだ。休日は仲間とバイクを走らせてるよ。この近くでは……」

 

C「僕は高校3年間パソコン部に所属していて、ゲーム制作をしていました。製作したゲームは即売会で売ったりしていました。ゲームを作るにあたり……」

 

 D「私は子育て施策に関心があって公務員を志望したんだよね。とくに今って少子化とか待機児童とか問題が山積してるじゃん。私の考えでは……」

 

E「俺は小学生のころから野球をやっていて、高校では甲子園を目指してたんだよ。こう見えて4番!でもまあ出場は叶わなかったんだけど……」

 

F「私は“働くとはなにか”を考える学生団体に所属しています。そこでは様々なアプローチから……」

 

G「あたし実は某夢の国でキャストをやっていました笑 あんまり詳しいこと話しちゃだめなんだけどねーキャストやってるとねー……」

 

H「私は読書が趣味です。年間200冊読むことを目標としていて今は……」

 

J「サッカーサークルのマネージャーしてるよ。うちあんまり強くないんだけどね。でもこの前の大会では……」

 

K「特技は裁縫です!自分で洋服を作れるまでになれたらなと思い……」 

 

 

 

 

 

 

 

え、こわっ………………

 

それが私の率直な所感だった。

安定してるから。やりたいことがないから。親に勧められたから。良い学歴も資格もないから。そんな理由で公務員を目指す奴が多いんじゃないかと思っていた。非活動的な、何事にも後ろ向きな人間が仕方がなく受けるのが公務員試験だと。

それが現実はこれである。身バレを防ぐため若干内容を変えてあるがあまりにも活動的な人間が多かった。もうびっくりだよ。勘弁してくれよ。というかじゃあなんで私なんかが受かったんだよ。面接官の不覚じゃないか。それとも実は私の演技力がすごかったのか?いや別に活動的な人間を演じたつもりはないな。じゃあ面接での私には誰かが憑依していたとか?なんだそれ。もうわけわかんないよ。びっくりだよ。

 

 

 

……とにかく、私には彼らがこわかった。輝きが眩しいとかそういうのとは違う。鈍く重い打撃。バイタリティーで殴られたとでもいうのだろうか。そんな衝撃だ。これは初めての経験だった。

 

非活動の化身のような私が一度に大量の活動力・バイタリティーを浴びてしまった。それも数年間まともに他人と関わっていない生活を続けている状態で、だ。私にとって活動力に満ちた人間は異形の者。理解不能な相手に対して恐怖を抱くのは自然なことである。しかも活動力のある人間というのはだいたい自信に満ちた顔をしている。それもまたこわい。その場に卒倒しなかっただけ私も頑張ったほうだろう。

 

誤解のないようにいっておくと私は活動的な彼らを否定する気は毛頭ない。私自身、自分の無気力で非活動的な生き方を良しとしているわけではないのだ。私もただ黙って何もせずじっと時間が過ぎるのを待つことを楽しめるわけではない。好きなことを見つけてそれに時間を割いたほうがいいに決まっている。頭ではわかっている。何年も前から十分理解している。ただ私にとって無気力とは持病のようなものなのだ。治す手立てがない。こればっかりはどうしようもない。割り切って付き合っていくしかない。

 

活動力に満ちた人間はこわい。私が無気力でいるかぎりその恐怖感は拭えないのだろう。ということはつまり“対活動力恐怖症”とでもいうべき合併症の発症である。今後も彼らのバイタリティーにボコボコにされるのかと思うと気が重くなる。ただでさえ働きたくないのに。彼らのバイタリティーはショック療法的に私の持病の特効薬になり得るだろうか。それとも発作を誘引する危険因子か。

 

 

 

恐らく後者だろうな。

はぁ〜〜〜〜〜〜〜こわっ。