コロッケコッペ

人生の煮っころがし

人間のクズと、いいニュース

私は私がとても大切で愛おしい。

 

これは物事を考えられるようになってからずっと抱いている嘘偽りのない思いである。

というかほぼすべての人がそうであるはずだと考えているし、そのくせ自分より大切な人がいる感を醸し出す人には苛立ちすら覚える。恋人なりなんなり、私に大切な人ができたとして、その人を大切にしたいのは私自身のためなのだ。

 

一応明言しておくが、なにも私は自分が誰より優れているとかルックスが良いとか人格者だとかそういうふうに思い、それゆえ大切にすべきと言いたいわけではない。というか人格に関していえばそれはそれはクソのようなものだと理解している。今回の本題もそれを露呈するものになるだろうけども。

私が私を大切にする理由はただひとつ。「自分だから」である。顔がしっちゃめっちゃかでも頭がすっとこどっこいでも関係ない。

 

私のすべての言動は「私がより幸せになるには」を基準に、選択肢のなかから選んだものであり他の誰のためでもない。もちろん必ず正解を選ぶことができるわけはない。私の選択によって私が不幸になったり苦労したわりに他者のみがプラスになったりもする。それでもそれは、「そのときの私が取り得るなか」で「そのときの私が考え得る」「私が幸せになるであろう選択」をしたことには間違いない。善行も、悪行も、すべては私のため。

 

例を挙げよう。

つい先日、雨のなか本屋に行ったらビニールの傘袋が階段に落ちていた。私はそれに気付き、それを拾い、ゴミ箱に捨てた。

 一見とてもわかりやすい善行だが、これは自然に私のためにやったことだ。

 

大事なのは「私はそれに気付き」の部分。

 

簡単に順を追って、私の行動原理を説明する。

 

1.階段に傘袋が落ちていることに気付く

2.「誰かがこれを踏んで転倒して死ぬ」可能性を見出す

3.私は傘袋の存在を認識したのでその“誰か”にはならない

4.しかし万が一私以外の誰かがその通りになったら、「私がその可能性に思い至り、防ごうと思えば少しの行動で防げた事故で人が死ぬ」ことになる

5.それはとっても胸糞悪い

6.傘袋を拾い、ゴミ箱に捨てる

 

こんな感じ。まあ実際は似たようなこと(コンビニののぼりが歩道に倒れてる・ゴミ袋が回収場から道に転がっているなど)がありふれているのでいちいちこんなはっきりとした思考を介することなく行動していると思うけど。

 

大事なのは「私がその対象に気付いてしまうか」という話。

 

簡単に言えば、私はわざわざ清掃活動のためにゴミを探しはしないし困っている人がいないかパトロールに出たりもしない。気付いてしまえば、私は自分が胸糞悪くなる可能性を見出してしまう恐れがある。その可能性を見出してしまえば、何らかのアクションを取らざるを得なくなる恐れがある。この時点で私にとってはマイナスなのだ。

 

私は確かな正義感のもと善行を行ったりしない。ましてや誰かに感謝されたくてなんてとんでもない。自分にとってマイナスになり得ると感じたときに、それをプラスマイナスゼロにするために仕方なくやる。

それが私にとってのいわゆる善行とよばれる行いである。

 

 

私が気付かなければ、それは存在しないのと同じ。

 

恐らくいまもどこかにゴミは落ちているし、どこかに困ったお年寄りなんかがいることだろう。しかし私が認識していない以上、それは可能性に過ぎない。

 

哲学的な話になってしまうけど、私が認識することで(私にとっての)世界は形成されると思っている。私に認識されなければ私にとっての世界には存在できない。

 

 

少し話が逸れるが、このことから私は遺産相続をしたいと全く思えない。(あげる金も人もいないんだけれど)

仮に私がめちゃくちゃ大金持ちで、仮にめちゃくちゃ大切な人がいて、仮に余命幾ばくもないとする。一般的には自分の死後、大切な人に自分の遺産が渡るように遺書を書いたり手続きしたりするのだろうけどそれが私にはわからない。どんなにキチンとした手続きをしてようがその金が本当に大切な人に渡ったのか認識できないではないか。だって死んでるんだもの。

私が認識できない以上、そんな手続きに意味はない。というか私が死ぬって世界が滅ぶのと同義なんだよね。いやいや、めちゃくちゃなことを言ってるのはわかってるんだけども。私が死んだら認識どころではないので、私の死後の世界は私にとって無そのもの。

 

そういう意味では

私の世界にとって私の命は世界中の人間の命を足しても足りないほど重い。

 

(「私の世界にとって」が大事だからね!)

 

 

だから私だったら生きてるうちに渡すかな。生前贈与ってやつ。それなら少なくとも世界が終わる(私が死ぬ)時点ではその金は大切な人のものであることは間違いないから。

 

これらは死後の世界・転生・幽霊として存在するとか、そういうものがないっていうのが大前提である。なので仮にそういったものの存在が証明されて、というか私がそういったものを信じる環境になったら、考え方は一変するかもしれないけども。

 

 

 

 

 はい。とりあえずここまで。恥ずかしげもなく自らの価値観じみたものを書いてきたけども。えーっと、人間のクズじゃねぇか。つくづく私みたいな思考の人間が蔓延ったらそれこそ世界の終わりだなと思う。

 

 

 

 さて、実はここからが本題なんですけど。

いままでのは前置きというか、予備知識というか、そういうやつです。

 

今日の本題はずばり、

 

 

 

「いいニュースだけニュースをみていたい」

 

 

 

ま、まあ説明をきいてくれよ。

先に述べた私のクソみてぇな人格に由来するんだけれども。

 

・私は私が最も大切。

・私は私が傷付いたり悲しんだりするのを甘んじて受け入れることはできない。

・私に認識されなければ私にとっての世界には存在できない

 

 

つまり、私が言いたいのは

 

 非道な事件も、クソみてぇないじめにパワハラセクハラも、政治家の不適切な発言も、どっかの国で人が死にまくってることも、ツナ缶の内容量が減って実質的に値上げしたことも、全部知りたくない!どうか私にそんなただ胸糞悪くなるだけの報せを届けないでくれ!

 

ということ。

 

 例えば私に超能力的なパワーがあって、事件を見事に解決し加害者を滅し、いじめセクハラパワハラを見事に解消し加害者を滅し、頭のおかしい政治家を見事に滅し、どっかの国に飛んで人々を救い、ツナ缶の値上げをなんとかすることができるのならばまだマシだ。話をきいた時点ではマイナスだが、行動してプラスマイナスゼロにできる。

 

 しかし残念なことに私にそんな力はない。だから悪いニュースというのは総じてただただ不快なだけ。たまったもんじゃない。私にどうすることもできないのなら、私の世界に入ってこないでほしい。

 

これはめちゃくちゃ無責任だ。無責任だがどうしようもないくらい正直な気持ちなのだ。私はただただ不快な思いをしたくない。嫌なものは嫌だ。私は情弱でいい。

 

故に私が求めるのが「いいニュースだけニュース」。

パンダが妊娠したとか、絶滅したと思われてたニホンなんとかが見つかったとか、ネギが豊作だとか、びっくり細胞が発見されて医療が進歩しそうだとか。そういう類の、いいニュース。

誰も不幸になってない、 大きく感情を揺さぶってくることもない、ニュース。地震情報も著名人の訃報も大臣の辞意表明も、なにひとつ飛び込みのニュースがない。ただゆったりと、ただただ安心して見ていられる。そんなニュース。そんなニュースなら見ていたい。

 

いや現実的にそんなものネタが少ないからできないだろうとか、そういう話じゃないよ。そんな悲しいこと言うもんじゃあない。 

 

 

 

私はただ、どうか私の世界は平和であってほしいと思う。それだけ。

 

 

 

おしまい。

 

 

マカロンを都落ちさせてみたい

かわいいお菓子といえばマカロンである。贈り物・手土産としても人気が高くスウィーツ店やケーキ屋に行けばだいたいいくつかの種類が販売している。バレンタインデーやホワイトデーの時期にもボンボンショコラやガトーショコラなど歴戦の実力者に負けず劣らずの商品展開をみせるお店もある。

 

 私はマカロンを含めスウィーツ全般けっこう好きだ。しかしだからこそ気になってしまう。マカロンの人気を素直に受け入れられない。カロンは本当にその実力で今の地位を築き上げたのだろうか?みんなマカロンに甘い幻想をみているのではないだろうか?(スウィーツだけに)

 

 そういうことで一つ考察をしてみたいと思う。

 

 

ちなみに“スウィーツ”とか書いたけど私はこの呼称にまだ若干の恥じらいを感じてしまう。スウィーツて。スウィーて。スウィーツという呼称には都会的な、あるいは煌びやかな雰囲気を感じるからだろう。私は彼らをスウィーツと呼ぶに相応しい人間ではないのではないか。しかしそれならばと“甘いもの”などと呼ぼうものなら急激に年寄りくさくなってしまう。実に悩ましい。実に悩ましいがここではスウィーツと呼ばせていただこうと思う。恥じらいながら。

  

まず、マカロンの人気について。マカロンの人気は味や見た目以上に、そのなんともかわいすぎる名前の力が大きいのではないかと私は考えている。もちろん美味しくないわけではないけど、“これはマカロンという名のスウィーツである”という認識が少なからず影響している気がする。というか「マカロンください」って言うだけでもうかわいいし。ケバい化粧で不良とつるみ近寄りがたい雰囲気を放つギャルも、黒いスーツを着た強面で肩幅が広いおじさんも、この言葉を発しているその瞬間だけはかわいさで溢れているのではないだろうか。

 

 

私は個人経営の洋菓子屋でバイトしてる男子高校生。大通りから外れたところにある小さなお店。数人の常連客以外は滅多に来ない。退屈な店番。

カランコロン。1時間弱ぶりに聞くドアベルの音。

女の子「あっ……」

去年同じクラスだった女の子。名前はなんていったっけ。地味目で気に留めたこともない女の子だ。この店に来るのは初めてだろう。

女の子「あの……このマカロン5個セット、ください……。」

私「えっ、あっ、はい!1296円でございます……!!」

 

 私「ありがとうございました……。」

 

私「……………………。」

 

 

 

 

ほら、やっぱり。やっぱりかわいい。もう私は彼女のことが気になってしまう。次の日から彼女のクラスの前をうろうろすることになる。お店のチラシを渡すという口実で彼女に話しかけたいけど勇気がなくもじもじすることになる。

ちなみにわかりやすく私を男子高校生という設定にしたけど、性別は問わず、また相手を教師やいつも同じバスに乗る人、隣の家の子などにしてもだいたい同じ結果になります。ただし自宅用であることが不可欠。

 

 


さて、仮にマカロンという名前がかわいすぎることがマカロンが高い地位に至った大きな要因だとするならば。であるならば、だ。

 

 

 

もしマカロンが『ドロタボー』 という名前だったら。

 

カロンがそのかわいらしい名前を獲得しなかったら、ドロタボーという名を授かり生まれてきたら、その味と見た目だけで現在の地位まで登りつめることができただろうか。
カロンが好きだと話していた人達はドロタボーを買って食べるだろうか。ガトーショコラやボンボンショコラと同じだけスペースを使っていたお店はドロタボーにスペースを割くだろうか。ドロタボーを買いに来た女の子に男子高校生の私はときめきを感じるだろうか。

 

スウィーツ店の端っこにあったりなかったりするような、スウィーツ好きなら知っているような、何かの機会に初めて食べて「へぇ〜、こんなのがあるのか。」で終わるような、そんな外国のお菓子くらいのポジションに落ち着くのではないだろうか。(現在のギモーヴくらいのポジション)

 

 

 

 

そんなことを私はぼけーっと考えていました。

 

 

 

 

はい。以上が私の思い描くマカロン都落ち

おしまい。もうやめます。自分でも何をいっているのかわからない。マカロン都落ちってなによ。

 

 

 

ちなみにドロタボーとはファイナルファンタジー13-2に出てくるモンスター。大して強くない。


 

休日のトイレにはギミックが必要

今回の話はすぐに終わります。
自宅のトイレにはギミックが必要だという話。特に休日における自宅のトイレについて話をしたい。一応補足しておくとギミックというのは仕掛け・からくりという意味。大丈夫ですか。続けますよ。


皆さんトイレに入るのはどんなときだろうか。
もしかして尿意及び便意を催したときではないだろうか。そうでしょうね、私もそうだもん。

トイレに入るということは、そのときやっていたことを中断するということだ。私たちは取り組んでいたアクション(家事をする、テレビを見る、本を読む、眠るなど様々)を中断してまでトイレに向かう。あるいは「区切り」になることも多い。食事を終えて、テレビを見終えて、本を読み終えて。

どちらにせよ、流れが途切れる。それがトイレに入るという行為だ。

 

 

 

休日、日曜日の昼下がり。自宅でゲームをしていた私。(何でもいいが、ここではアクションを“ゲーム”とする) 

「どうしてもあいつ倒せないな〜」

なんとなく尿意を催す。ポーズ画面にして席を立ち、トイレに向かう。

「あ、じゃあ次はあの武器使ってみるか」

トイレに入り、腰掛ける。

 

 

「………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………はぁ〜〜〜〜。」

 

 

 

 

 

 

 はい。わかりますか。そう、トイレに入るとまぁ〜〜我に返る。テンションが強制シャットダウンされる感じ。それも休日はとくに。もう回帰するのが難しいレベルで気分が落ちる。お手軽につらい。

 

そこで私は考えた。トイレに入っても我に返ることなく楽しい気分・落ち着いた気持ちを維持するにはどうすればよいのか。

 

 

辿り着いた答えがギミックである。

 

 

まず、みなさん自宅のトイレを思い浮かべてほしい。よほどの金持ちでなければ、座ったらわりと壁がすぐ目の前ではないだろうか。そして左右も壁。何かがあるにしてもだいたいカレンダーやちょっとした置物くらいだろう。これがまずいのではないか。

 

・取り組んでいたことを中断している(区切りがついている)

・前後左右を壁に囲まれている

・基本的になにも持っていない

・腰掛けている

 

ほら。これは我にも返るよ。まずいまずい。

要は、手持ち無沙汰なのである。(排泄中に手持ち無沙汰とは何事かという気もするが)

 

そこで、ギミックの出番。

便器に腰掛けてから排泄を終えるまでテンションをつなぐギミックである。腹痛や便秘などでなければ、せいぜい2〜5分といったところだろう。その間、意識を向けられるもの。ギミックとかっこよく書いてはいるが単におもちゃと考えてもらってもかまわない。ぐるぐる鳥が飛ぶやつとか、わけありげなボタンとか、よくわからんトゲトゲが床から生えてるとか、なぞパズルとか。(なぞパズル?)  

そういったギミックをできるだけたくさん、たくさんトイレに仕掛ける。例えるなら幼児が遊ぶ自宅用のジャングルジム。あるいはクッパ城の奥のほう。やたら仕掛けがある感じ。そんな感じのDIYが流行ってもいいような気がする。

仕掛けが1種だけだとどうしてもすぐに飽きがくるからね。手ではギミックを弄びながらも頭では我に返る。そんなことになったら目も当てられない。いつも以上に自分が情けなくなること請け合いである。

したがってできるだけたくさんのギミックを仕掛け、また定期的に取り替えるのが効果的だろうと私は思う。

 

 

 

 

さて、以上だけれども。どうだろうか。

まあどうだろうかとかいわれてもね。でも“トイレに行くと我に返ってしまい憂鬱になる”というスタートのところは共感していただける人が少しはいるのではないかと思っている。そんな人はぜひやってみてほしい。ただし、一人暮らしでかつ来客が全くない人しか試せないとは思う。だって異常事態だもん。そんなトイレ。

 

たくさんのギミックがあるトイレ。そう、これは正気の沙汰ではないのだ。しかし正気に戻らないことこそが休日を過ごす上でなにより重要なことなのだと私は考える。

 

 

 

 

 

 

 

トイレでだって我を忘れていたい。

 

おしまい。 

悪いミッキーさんが来る

「おにから電話」というアプリがテレビで紹介されていた。鬼やおばけから電話がかかってきたという設定で言うことをきかない子供を脅かす子育てサポートアプリというものらしい。こわいイラストも表示されるほか、片付けをしないとき・嘘をついたとき・寝ないときなど様々なシチュエーション毎に音声が用意されていて手のかかる子供も言うことをきくということだった。濫用は良くない気がするが、最終手段的な扱いなら確かに保護者にとって有用なアプリなんだと思う。

 

「良い子にしないと鬼から電話がかかってくるよ!」これは聞きようによっては恫喝と取れなくもないが、育児・教育においてはそれも一線を超えない程度には必要だろう。誰もが多かれ少なかれ大人からそんな恫喝まがいのことをされた経験があるはずだ。かくいう私も幼稚園の先生にこんなことを言われていたのを思い出す。

 

 

 

「早くお片付けしないと悪いミッキーさんが来るよー!!」

  

 

 

今になって考えると「はい〜?」って感じだが、当時の私にはとても効果的な恫喝だった。片付けの時間になると、先生はピアノでめちゃくちゃキーを下げた『ミッキーマウス・マーチ』をゆっく〜り弾きながら言う。

 

 

  

「みんなー!!悪いミッキーさんが来るよ!!」

 

   

 

私はもうこの時点でガクブルである。「積み木あそび?なにが楽しいの?」って感じのませたクソ園児だった私だが、怖いものは怖い。そりゃもうすんごく怖い。悪いミッキーさんを止めるためならお片付けもやぶさかではない。しかしそれでもすぐに遊びをやめない根性のある園児もいる。そんな反抗的な園児を挑発するかのようにめちゃくちゃ低いキーのミッキーマウス・マーチはテンポを上げる。

悪いミッキーさんが走り始めるのだ!

 

 

 

「悪いミッキーさんが近付いてくるよー!!」

 

 

 

悪いミッキーさんがすぐそこまで来ているという実感。もの恐ろしさ。これには反骨精神溢れる園児達も形無しである。やんちゃボーイもおてんばガールも必死こいてお片付け。これは本能だ。園児としての本能で“悪いミッキーさんが来たら自分は終わり”そう直感している。

 

 

 

「悪いミッキーさんが幼稚園に着いちゃうよー!!」

 

 

  

お片付けが終盤に差し掛かるころ、めちゃくちゃキーの低いミッキーマウス・マーチもトップスピードになる。

悪いミッキーさんがこちらを捉えた……!?

もう明るく楽しい原曲の面影は完全に消え失せシューベルトの『魔王』さながらおどろおどろしい、恐怖を煽りまくる楽曲である。「お父さん!!お父さん!!」と叫ぶのもやむなし。子供は苦しみだし、やがて息絶えるかもしれない。

 

悪いミッキーさんに恐れ戦きながらどうにかこうにか片付けを終えると、ミッキーマウス・マーチはゆっくりフェードアウトしていき先生はこう言い放つ。

 

 

 

「みんながお片付けをしたから悪いミッキーさんは帰ったみたい。」

 

 

 

この宣言を聞いた瞬間、私達の顔に安堵の表情が浮かぶ。なんとか今回は助かった、と。

悪いミッキーさんはお片付けを終えると帰る。そういう性質があるらしいこともみな直感で理解していた。

 

そうして私達は幾度となく悪いミッキーさんの襲来を寸前で防ぎ、ついに卒園まで一度も悪いミッキーさんと相対することはなかった。

 

悪いミッキーさんはなんでお片付けをすると帰るのか。そもそも悪いミッキーさんはどう悪いのか。片付けをしなかったら私達は悪いミッキーさんに何をされていたのか。何もわからない。先生は悪いミッキーさんについて何も語らなかったから。確かなことは、私達がその悪いミッキーさんを恐れていたということだけである。

  

 

しかしいかんせん幼稚園児の頃の話だ。私の記憶に穴がある可能性も否定できない。そこで母に「あの悪いミッキーさんってのは何だったの?先生ほかに何か言ってたっけ?」と聞いてみた。すると母は「あははは、そんなのよく覚えてるね〜」とひとしきり笑ったあと、

 

 

「悪いミッキーさんは別に何もしないよ。ただ悪くて怖いの。それだけ。」

 

 

 

 

哲学か?

 

 

 

 

 

 

 

 

(先生のしていたことはミッキーマウスのイメージを損ないかねないことのような気がする。その点はいいのだろうか。大人になってしまった現在の私からすれば、悪いミッキーさんより怒ったディズニーさんのほうがよっぽど怖い。

 

フィクション上の犯罪組織の名前から漂う独特な空気

私の無職生活は『相棒』とともにあった。

ずば抜けた推理力と捜査能力を持ちながら窓際部署「特命係」に所属する杉下右京が相棒とともに難解な事件を解決していく大人気の刑事ドラマシリーズ。あの『相棒』である。

ご存知の方も多いと思うが、相棒はその人気ゆえに再放送の頻度がえぐい。平日午後2時から2,3時間のテレビ朝日は『相棒』と『科捜研の女』で支えているといってよい。その最強タッグに加え『京都地検の女』『タクシードライバーの推理日誌』『おみやさん』『臨場』『遺留捜査』などが再放送の定番か。たまに『火災調査官・紅蓮次郎』『温泉若おかみの殺人推理』などがやってると「おおっ!」となる。別に特別好きなわけではない。観たいわけでもない。ただ「おおっ!温泉若おかみやってんじゃん!」となるだけ。レアキャラを見つけたみたいな。

そこに、無職だからめちゃくちゃ時間があるうえこれといった趣味がない私である。さらに自室を持っていないので基本的にリビングにいる私。刑事ドラマがすごく好きなわけではない。特に見ようと思ってるわけでもない。でも気付いたらやってる。気付いたら見てる。そんな生活が長く続いた。


何年も再放送を見続けるうちに、こと『相棒』に関しては冒頭の5秒ほどを見れば事件の内容・結末がパッとわかるまでになった。「あ、ミス・グリーンが悪質動画投稿主を爆破しようとする回だ!」「あ〜、サヴァン症候群のきいちゃんが最期に初めて動物以外の絵を描くやつね」「うわぁ、今日は陣川くんが闇堕ちするやつか」などといった具合に。(見たことがない人にとってはさっぱり意味わからんだろうけど、どれも面白い回です。)


そんな感じで意図せず『相棒』に精通している私が、最近ふと気になったのが「赤いカナリア」である。「赤いカナリア」とは『相棒』シリーズに登場する左翼過激派のテロ組織だ。組織としての活動はさほど描かれないが登場するのはだいたいけっこう印象的な回だったりする。私が気になったのはそのストーリーではなく「赤いカナリア」という組織名。なんというか「赤いカナリア」という組織名は実にテロ組織感のある名前だと感じた。フィクションの世界で「赤いカナリア」という組織名が出てきたら、正義のヒーローでもスポーツチームでもなくテロ組織ではないかとまず疑いたくなる。そんな感じ。うまく言葉にできないが、フィクションに登場するテロ組織の名前には独特な空気がある気がした。




はい。前置きおしまい。
ということで今回はこの“フィクション上の犯罪組織の名前から漂う独特の空気”について考えてみたい。
まず手始めに私が知る限り、思い付く限りのフィクション上のテロ組織を挙げようと思う。しかし考えてみるとそれがテロなのかどうか判別が難しいことに気付いた。フィクションの世界では破壊行為・暴力行為を行う組織が必ずしも悪ではない。主人公がそちら側に属していることもあるし共感できる理由のもと行動している場合もある。なので今回はテロ組織から少し広げて“犯罪行為を行う組織”を挙げることとする。


条件は以下の通り

1.小説・アニメ・ドラマなど媒体は問わない
2.構成員ではない人間がつけた呼び名・通り名も含む(例:「黒の組織」『名探偵コナン』)
3.殺人鬼や怪盗など単独の犯罪者は含まない
4.暴力団・ヤクザ・暴走族・マフィア・ギャングは含まない
5.正規軍や諜報機関などが犯罪行為を行っているケースは含まない
6.実質的には犯罪行為をしていても、キャラクターや世界観などからあまり犯罪組織という色を感じない場合は含まない(完全に私のフィーリングです 例:「ロケット団」『ポケットモンスター』)



ではでは。
これより様々な作品のネタバレあり(すでに『相棒』のネタバレしまくっているけど)




組織名 活動内容・目的など 登場作品
赤いカナリア 左翼過激派 炭疽菌と引き換えに元幹部の釈放を要求 『相棒』シリーズ
赤い月 無差別テロ ダム占拠 金銭要求 ホワイトアウト
紅き手袋 暗殺 サモンナイト』シリーズ
黒い月 反政府テロ 要人の殺害 『BOSS』
黒い牙 暗殺(元は義賊) ファイアーエムブレム 烈火の剣
黒の騎士団 反帝国 武力集団 正義の味方(元はレジスタンス) コードギアス 反逆のルルーシュ
黒い幽霊 殺し屋 洗脳 絶対可憐チルドレン
黒の組織 謎の薬の開発 プログラムソフトの取引 暗殺 名探偵コナン
黒之巣会 帝都の破壊 サクラ大戦
黒鬼会 武力統治 サクラ大戦2 〜君、死にたもうことなかれ〜』
エルドビア 祖国と自由 反米ゲリラ 身代金目的の誘拐 『相棒-劇場版-絶体絶命42.195km.東京ビッグシティマラソン』
日本解放戦線 反帝国 レジスタンス コードギアス 反逆のルルーシュ
人類解放戦線 攻殻機動隊』シリーズ
興国の旅団 人類解放戦線の亜流セクト 電脳化に反対 過激派 攻殻機動隊』シリーズ
血の旅団 過激派 爆弾テロ 科捜研の女 SEASON16』
骸旅団 革命 盗賊行為 ファイナルファンタジータクティクス
風の骨 暗殺 テイルズ オブ ゼスティリア
海の家 環境テロ 機動警察パトレイバー
木曜日の子供 過激派 爆弾テロ ハンチョウ〜警視庁安積班〜』
魔弾の射手 原子力発電所のジャック ハッキング BLOODY MONDAY
個別の11人 革命 攻殻機動隊 S.A.C. 2nd GIG
葬儀社 レジスタンス 日本の解放 ギルティクラウン
アルタイル 人口増加のため人間を間引く S -最後の警官-
冥王星 犯罪計画を授ける 直接手を下さない頭脳集団 探偵学園Q
スピンクス プルトニウム強奪 日本の闇を晒す 残響のテロル
シンブンシ 制裁 『予告犯』
P.A.N.D.R.A 革命 絶対可憐チルドレン


こんなところか。小説・漫画・アニメ・ゲーム・ドラマといい感じの割合で出た気がする。(めっちゃ疲れた。もうおしまいにしたい。)
こうやってざーっと見るとやっぱりどれもそれっぽい空気が漂ってるな。そしてかっこいい。キュートでポップな名前の犯罪組織はない。当然っちゃ当然だけども。




ちなみに私が知っているものを挙げるとはいっても全ての作品をしっかり読んだ・観た・プレイしたわけではないので多少の誤りは大目に見て欲しい。また必ずしも組織が一枚岩とは限らないし名目上のものとは別にリーダーには真の目的があったりもする。なので特に目的の項目に関してはざっくりしたものだと認識して欲しい。







予想はしていたけどやっぱり黒が多い。今回私が挙げた27の組織のうち「黒」の文字が入っている組織は7。かなりの割合だ。それも漫画・アニメ・ゲーム・ドラマと媒体に関わらず広く使われている。

以前意味もなくカラーコーディネーターの資格を取ったときに勉強したことだが、色には“象徴性”というものがあるらしい。青はクール・さわやか・静か、白の場合は潔癖・純粋・平和といった感じに色から受けるイメージが一般化したもの。じゃあ黒はというと死・闇・悪など犯罪組織にぴったりなイメージを象徴している。(まあ考えるまでもないけど)

しかし改めてみてみると黒がつく犯罪組織のうち、主人公サイドの組織は「黒の騎士団」のみだ。それ以外は敵として描かれる組織であり、しかも国や人類を導かんとする革命目的の確信犯ではなく自分達の利益や欲望のために動く組織が多いように思う。そこも色の象徴性と合致する。




赤(紅)を含む組織もいくつかある。これも同様に色の象徴性という観点から考えてみよう。赤は国旗にも使われることが多い色だが、活動的・愛・強いなどを象徴するとされている。そう考えると黒とは逆に己の利益というより思想的なものを持っているのではという印象を受ける。

『相棒』の「赤いカナリア」はもっぱらそうであろう。ほぼ壊滅状態とされているが左翼過激派で革命を目指す組織だ。また、「赤いカナリア」の幹部の本田篤人、『サモンナイト』の「紅き手袋」のスカーレル、ヘイゼルなど、物語の進行とともに組織の在り方に疑問を抱いたり特定の人物への親愛の感情が芽生えたりするなどして組織を抜ける人物が多い。『ホワイトアウト』の「赤い月」に関してはそもそも組織に復讐することを目的に構成員になる人物がいる。当然どれもかなり命懸けの行為である。


“赤”がつく組織には強い愛情がもとの行動力を有する人物が絡む傾向にあるのかもしれない。物語としては組織の動きというより人物が主という感じか。一枚岩じゃない。




他の組織名は共通項を見つけ出すのが難しいが、まず「エルドビア 祖国と自由」「日本解放戦線」「人類解放戦線」は単純に掲げる目的がそのまま組織名になってると考えてよいだろう。わかりやすい。これは大きい組織に多そうな気がする。(「エルドビア 祖国と自由」はちょい出のゲリラだけど)



何気に3つもあったのが「◯◯旅団」か。辞書によると旅団とは軍隊の編成上の単位で1500〜6000名程度の兵員による部隊のことらしい。いやいやいやって感じだ。少なくとも『科捜研の女』の「血の旅団」に関しては盛り過ぎにも程があるだろ。描写があったの数人だったぞ。あと「骸旅団」(むくろりょだん)はちょっと言いにくいです。


組織名について考えるにあたり、組織名の由来が描かれているかどうかというポイントも大きそうだ。私の記憶違いかもしれないがここに挙げた組織はほとんど組織名の由来は描かれていない?

組織名の由来が明らかにされているもののなかでは個人的に『ギルティクラウン』の「葬儀社」が好きだ。“弱者が淘汰されていく世界で、自分達は常に淘汰される弱者を〈送る〉側であることを示す”というもの。かっこいい。



主人公と敵対してる組織の組織名についてはあまり掘り下げられることがなさそうだ。そして由来が明らかにならない場合、黒とか赤とか色が使われやすい。あ、あと月とか星関係も多いのかも。「赤い月」「黒い月」「冥王星」3つ出てる。なんでだろう。由来が描かれないなら単純にかっこいい感じにってこと?夜の闇に輝くから?でかいから?これは理由の検討がつかないな。







………………あれ?この“赤or黒+星=犯罪者”の公式でいくと、赤い彗星のシャアとか夜神月とか超ぴったんこじゃん。

夜を黒としちゃうあたりちょっと強引だけど、かっこいいし主役感あるし犯罪者感もある個人名ってすごいな。夜神月











はぁ、疲れたしこんなところかな。もう4000文字超えてるのかよ。何やってんだ私は。もう特になんもないよ。やめようやめよう。





フィクション上の犯罪組織の名前についての考察。


1.赤と黒がつく組織が多い。
・赤がつく組織は一枚岩ではない場合が多く、組織全体より強い愛情と行動力を持った個人に焦点が当たりやすい。
・黒がつく組織は敵サイドが多い。自分達の欲望のために動く傾向にある。

2.組織の目的がそのまま組織名になるパターンもある。
・巨大組織に多い?

3.「◯◯旅団」もままある。
・むくろりょだんは言いにくいです。

4.組織名の由来が描かれない場合はとくに色名や星関連の言葉が使われやすい
・赤or黒+星=犯罪組織独特の空気?







よーし、色や星、旅団などの言葉を組み合わせて君だけの犯罪組織名をかんがえよう!






おしまい。

活動力に満ちた人間がこわい

私は無気力な人間である。幼い頃からずっと無気力だ。死後、人生の通知表をもらえるなら関心・意欲・態度の項目はC判定だろう。そんな非活動的な人生を歩んできた。

 

  • 中学高校ともに帰宅部。仮入部すらしたことがない。
  • 運動は苦手ではないが全くやらない。幼いころも外で遊ぶのが好きではなかった。
  • 音楽を聴くのは好きだが、決まったアーティストの歌しか聴かない。楽器を触ったことはないし歌を歌うこともない。カラオケに行ったこともない。
  • 幼稚園以来まともに絵を描いたことがない。というか創作活動をしたことがない。(漫画やアニメは好きだがいわゆる黒歴史ノート的なものもない)
  • ファッションに興味がない。ここ2年くらいスーツと下着以外に服を買っていない。美容院で髪を切るとき長さ以外の注文をしたことがない。その長さも何年も変えてない。
  • 趣味はない。強いて言えばゲームだが、それももうクリアしたことのあるものを惰性でやっているだけである。未プレイのものも手元に何本かあるがそれでも何度もクリアしたものを惰性でプレイする。
  • 明確に夢を持ったことがない。なので学校の作文やアンケートで書かなければならない場面では毎回違うことを書いていた。(パン屋、雑貨屋、寿司職人など)
  • LINE・Facebookをやっていない。友達がいない。(これは無気力だけが原因ではないか)

 

自らがいかに非活動的かを示すのはなかなか難しい。なぜならやったことではなくいかにやってないかを挙げなければならない。でもまあこんな感じでわかっていただけたことと思う。どうしようもないくらい無気力。非活動的の極み。変わったらいいなあと思うことはあっても変えようとは思わない。もちろん気力がないからである。

 

 

 

 

 

そんな私が春から公務員になる。ちなみに公務員を選んだのは公務員試験の選考方法に利点を感じたからである。(学歴を問わない・筆記試験で大部分が落ちてその後の面接も基本的に1度だけなので民間の就活より精神的負担が軽いなど)

採用にあたり昨年末から懇親会だとかセミナーだとかに参加しなければならなかった。形式的な自己紹介から移動中の雑談など、次々と同じ内定者達とのファーストコンタクトを取っていくことになる。ただでさえ人見知りでコミュ障の私だが、そこで予期せぬベクトルの困難と対峙することになった。

 

 

A「私は大阪に住んでいるのですがどうしてもここで働きたくて受験しました!まだ決まっていませんが、上京して一人暮らしを始めるつもりです!地元では……」

 

B「ツーリングが趣味なんだ。休日は仲間とバイクを走らせてるよ。この近くでは……」

 

C「僕は高校3年間パソコン部に所属していて、ゲーム制作をしていました。製作したゲームは即売会で売ったりしていました。ゲームを作るにあたり……」

 

 D「私は子育て施策に関心があって公務員を志望したんだよね。とくに今って少子化とか待機児童とか問題が山積してるじゃん。私の考えでは……」

 

E「俺は小学生のころから野球をやっていて、高校では甲子園を目指してたんだよ。こう見えて4番!でもまあ出場は叶わなかったんだけど……」

 

F「私は“働くとはなにか”を考える学生団体に所属しています。そこでは様々なアプローチから……」

 

G「あたし実は某夢の国でキャストをやっていました笑 あんまり詳しいこと話しちゃだめなんだけどねーキャストやってるとねー……」

 

H「私は読書が趣味です。年間200冊読むことを目標としていて今は……」

 

J「サッカーサークルのマネージャーしてるよ。うちあんまり強くないんだけどね。でもこの前の大会では……」

 

K「特技は裁縫です!自分で洋服を作れるまでになれたらなと思い……」 

 

 

 

 

 

 

 

え、こわっ………………

 

それが私の率直な所感だった。

安定してるから。やりたいことがないから。親に勧められたから。良い学歴も資格もないから。そんな理由で公務員を目指す奴が多いんじゃないかと思っていた。非活動的な、何事にも後ろ向きな人間が仕方がなく受けるのが公務員試験だと。

それが現実はこれである。身バレを防ぐため若干内容を変えてあるがあまりにも活動的な人間が多かった。もうびっくりだよ。勘弁してくれよ。というかじゃあなんで私なんかが受かったんだよ。面接官の不覚じゃないか。それとも実は私の演技力がすごかったのか?いや別に活動的な人間を演じたつもりはないな。じゃあ面接での私には誰かが憑依していたとか?なんだそれ。もうわけわかんないよ。びっくりだよ。

 

 

 

……とにかく、私には彼らがこわかった。輝きが眩しいとかそういうのとは違う。鈍く重い打撃。バイタリティーで殴られたとでもいうのだろうか。そんな衝撃だ。これは初めての経験だった。

 

非活動の化身のような私が一度に大量の活動力・バイタリティーを浴びてしまった。それも数年間まともに他人と関わっていない生活を続けている状態で、だ。私にとって活動力に満ちた人間は異形の者。理解不能な相手に対して恐怖を抱くのは自然なことである。しかも活動力のある人間というのはだいたい自信に満ちた顔をしている。それもまたこわい。その場に卒倒しなかっただけ私も頑張ったほうだろう。

 

誤解のないようにいっておくと私は活動的な彼らを否定する気は毛頭ない。私自身、自分の無気力で非活動的な生き方を良しとしているわけではないのだ。私もただ黙って何もせずじっと時間が過ぎるのを待つことを楽しめるわけではない。好きなことを見つけてそれに時間を割いたほうがいいに決まっている。頭ではわかっている。何年も前から十分理解している。ただ私にとって無気力とは持病のようなものなのだ。治す手立てがない。こればっかりはどうしようもない。割り切って付き合っていくしかない。

 

活動力に満ちた人間はこわい。私が無気力でいるかぎりその恐怖感は拭えないのだろう。ということはつまり“対活動力恐怖症”とでもいうべき合併症の発症である。今後も彼らのバイタリティーにボコボコにされるのかと思うと気が重くなる。ただでさえ働きたくないのに。彼らのバイタリティーはショック療法的に私の持病の特効薬になり得るだろうか。それとも発作を誘引する危険因子か。

 

 

 

恐らく後者だろうな。

はぁ〜〜〜〜〜〜〜こわっ。

 

剥き出しの鉄骨と本屋

まず私と本の関係性について。

私はあまり本を読まない。といっても読書を苦痛には思わないしけっこう言葉、日本語が好きである。なので学校で扱ったもの以外にも近代文学は読んできたし現代の小説も読んだことはある。現代のものではSFと推理ものの割合が高いだろうか。小説以外では何かの試験や検定の参考書が多い。漫画もちらほら持っている。だがやはり日常的に本を読む習慣はない。直近でしっかり読書をしたのはいつかと問われれば、いつだったかなと考えてしまうくらいに。私と本はそんな距離感。

 

 そんな私が先日、本屋に行った。本屋に行くこと自体はそんなに珍しいことではない。ちなみにそのときは好きなイラストレーターの画集を予約することが目的だった。都会にある本屋。ワンフロアだがけっこう広い店内。その店内の角、天井。補修の予定があるのか無骨な金属管が剥き出しになっていた。床やその周りの壁・天井などはいたって普通の本屋。特に独自性があるわけでもない一般的な本屋。とても落ち着いた雰囲気のなか、その剥き出しの金属はかなり異質なものに見えた。その空間にそぐわない異質なもの。なんとなく気になって眺めていると私はなぜか自分の気持ちが昂ぶっているのを感じた。

 

 

 

なんだこれ……かっこいい……

えっ……ちょっと待てよ…………………

 

もしかして…………………………

 

 

 

 

 

 

 

金属と本ってめちゃくちゃ相性がいいのでは?

 

 

 

 

 

 

 

はい、今回のテーマはこれです。

 

本屋といえば床はフローリングなど落ち着いた色、照明は暖色系でのどやかな雰囲気の店内が一般的だ。金属というよりは木材といった印象か。もちろんそういった雰囲気の本屋を否定するつもりは全くない。広く受け入れられてきたからこそ本屋のイメージとして定着しているのだろうし私もその雰囲気を不快に感じたことは一度もない。

 

だが今回私が提案したいのはそうではない。重い金属の扉。いかにも耐火素材って感じの金属の内壁。装飾もなにもない剥き出しの鉄骨。天井にはなんかよくわからない謎のパイプ。点在する白色光の照明。そしてずらっと並ぶスチール製の本棚。

どう、かっこよくない?テンション上がっちゃう気がしない?

 

この昂ぶりは私があまり本を読まずに育ち、そこまで本に親しみを感じられていないからこそのものかもしれない。でも、ここまでじゃないにしても、金属と本がかなりいい相性だということは読書好きの方にもなんとなく伝わらないだろうか。

 

  

 

金属と本のマッチング。倉庫みたいな本屋。いや、異能力組織が集会所にしている今は使われていない倉庫 みたいな本屋。

 

見つけたらぜひご一報を。